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お知らせ一覧
展覧会のご案内、近作の紹介、日々の近況。
「輪廻転生」 第40回記念日洋展
絵かきの姿勢 岡田征彦兄の場合
絵かきの姿勢 岡田征彦兄の場合
エッセイコーナーに「絵かきの姿勢 岡田征彦兄の場合」を追加しました。
『美は人をつくる』 書評
『美は人をつくる』 書評
エッセイコーナーに臼井健司氏による『美は人をつくる』 の書評を追加しました。
「幻日に祈る」 第118回日展
幻日を見たら幸福が訪れるそうです。第二次世界大戦から80年、しかし懲りもせず世界各地で戦争は起きています。東日本大震災で命の儚さを再認識して以来「どんなに美しい風景にも哀しみの記憶がある」をコンセプトに制作していますが、今回、祈りの象徴である日食を半分にして幻日に主役を譲り、湧き出る阿蘇の噴気に経文を織りなし世界平和を願う表現にしてみました。
こちらから前売券 (¥1200) も購入できますが、午後4:00~6:00に使えるトワイライトチケット (¥600) がおすすめです。
第118回 日本美術展覧会
- 会期
- 〜
- 会場
- 国立新美術館
- 開場時間
- 午前10時~午後6時
- 休館日
入場料
入場は午後5時30分まで
「阿蘇幻日」 第39回日洋展
熊本震災から10年、親友の案内で初めて阿蘇の噴火口を見た。その壮大さに圧倒されながら夢中でスケッチをした。アトリエに帰り、幾度も幾度も制作のための試作を繰り返したが上手くはいかずスランプに堕ちた。その頃アトリエのある霞ヶ浦湖畔をハチと散歩中、ダイヤモンド富士を撮影するという女性カメラマンがいた。まだ少し上空にあった太陽を一緒に追っていたら、現れたのが幻日だった。見ると幸せを招くというこの小さな虹を、今回漆黒の真ん中に取り込んでみた。火口からの湯けむりに乗じて般若心経が湧き出すよう、リズムを感じるよう。こうして、どんなに美しい風景にも哀しみの記憶がある、といういつものぼくの鎮魂の制作意図は叶った。
- その後、大阪、広島、仙台に巡回(詳細は日洋会HPをご覧ください)
第39回 日洋展
- 会期
- 〜
- 会場
- 国立新美術館
「万里一空」 第11回日展
「どんなに美しい風景にも、哀しみの記憶がある」これがぼくの絵のコンセプトです。くり返される天災・人災、それに耐えて美しく再生し、自然も人も今日ここにあることを忘れてはなりません。今回は、この頃多くなった雷光を取り込み、画面上で天と地を構成的につないでみました。また、喜寿を目前に、生前師匠に「説明が過ぎると風景が小さくなる」と教えられたことを思い出すことが多くなりました。
こちらから前売券 (¥1200) も購入できますが、午後4:00~6:00に使えるトワイライトチケット (¥500) がおすすめです。
第11回 日本美術展覧会
- 会期
- 〜
- 会場
- 国立新美術館
- 開場時間
- 午前10時~午後6時
- 休館日
入場料
入場は午後5時30分まで
「霞ヶ浦湖畔の賦」 第38回日洋展
「故郷の山はありがたきかな」とは啄木の詩の一節だが、喜寿を境に、東京を離れ、故郷のアトリエで自身の絵画原点を探って暮らすようなことが多くなった。今回はまさにその格闘の一点である。古キャンをグライターで幾度も削り、描いては消し、消しては描いた。壊して構築の実践は、美術教師だった時に「いい人やいい絵の本質だ」と高校生たちに熱く語っていたものだが、いつの間にかすっかりぼく自身、忘れかけていたようにも思う。故郷の美しい風景というありがたい懐で、表現者としての最後の勝負に出なければならない。これはその決意の作品である。
ちなみに、湖の対岸には戦時中、特攻隊員を養成した「霞ヶ浦飛行予科練兵学校」があった。
(2025.4.17遅載)
- その後、大阪、熊本、仙台、広島に巡回(詳細は日洋会HPをご覧ください)
第38回 日洋展
- 会期
- 〜
- 会場
- 国立新美術館
「鎮雪」 第10回日展
今年は関東大震災から100年になります。ご存じのとおり多くの犠牲者が出ました。その鎮魂の祈りを、復興の象徴でもある銀座に、いつもの経文ではなく鎮めの白雪を降らせることで表現してみました。「どんなに美しい風景にも悲しみの記憶がある」というのがぼくの絵のコンセプトです。キャンバスの中で格闘する姿勢を感じ取っていただければ幸いです。
第10回 日本美術展覧会
- 会期
- 〜
- 会場
- 国立新美術館
- 開場時間
- 午前10時~午後6時
- 休館日
入場料
入場は午後5時30分まで
「早春譜」 第37回日洋展
「雨過天晴」 第9回日展
この地球の混濁をお天道様はどうみておられるでしょう。アトリエのある田舎に籠り、心を無 にして庭の草を抜いたりしていると、自分と対峙する制作の本質のようなものが見えてきます。 余計な説明など必要ないことに気づきます。天と地を繋ぐための空間には平和と安泰を祈って 『観音経』を書き綴ってみました。
第9回 日本美術展覧会
- 会期
- 〜
- 会場
- 国立新美術館
「凛」 第36回日洋展
「白日夢」 第8回日展
新型コロナによるパンデミックで今世界は未曾有の危機のただ中にいます。表現者として何を画けばいいか問われているのに、モチベーションもあがらないまま、緊急事態宣言下の東京の街をただ眺めているだけの自分がいました。そこで、眼前の風景を描くことの中で、コロナ禍で犠牲になられた多くの方々への悼む気持ちと平和への希望を自分流に昇華して表現してみました。
この作品は下記の全会場に巡回されます。
巡回予定
- 京都:
- 令和3年 (2021年) 12月18日(土)〜令和4年 (2022年) 1月15日(土)
- 京都市京セラ美術館
- 名古屋:
- 1月26日(水)〜2月13日(日)
- 愛知県美術館ギャラリー
- 大阪:
- 2月26日(土)〜3月21日(月)
- 大阪市立美術館
- 安曇野:
- 4月23日(土)〜5月15日(日)
- 安曇野市豊科近代美術館
- 金沢:
- 5月28日(土)〜6月19日(日)
- 石川県立美術館
第8回 日本美術展覧会
- 会期
- 〜
- 会場
- 国立新美術館
「まほろば 唐津の入江」 第35回記念日洋展
このところ日洋展の九州移動展には毎年出掛けている。熊本は特に5年前に震災もあり、東日本大震災の10年からスタートしたぼくの絵のテーマでもある「美しい風景と鎮魂」の核となる舞台でもあるからだ。しかし悲しみの記憶は何も震災ばかりではない。玄界灘を望むこの美しい唐津湾にも、命をかけて遣新羅使として旅立つ大伴狭堤古と村の長者の娘佐用姫との悲恋万葉歌がある。今回特にこの歌2首とその解説文を、構図上手前の虹の松原から少し誇張して配した鳥島を回り込むように画面は時計回りに展開する構図にしたため横雲の中の万葉歌は左から始まるように入れた。ちなみに2首の歌は、海原の/沖ゆく船を/帰れとか/領巾振らしけむ/松浦佐用姫(巻5 874)行く船を/振りとどみかね/如何ばかり/恋しくありけむ/松浦佐用姫(巻5 875)である。そして、この万葉仮名はぼくの絵の色面効果として用いている。
一昨年肩鍵盤断裂で2ヶ月入院した時も左手でスプレーを使ってみたり、般若心経を入れてみたり、利き手が使えない焦りの中で夢中だったが、今回はコロナ禍で個展もままならぬ状況の中いろいろ試せることは創造に生きる者としてかえってありがたい時間と思うことにしている。そして、この絵を、今現在さらに継続されている東京都の緊急事態宣言が解除され、美術館が開いて、みなさんにみて頂けることを只々願うばかりである。
※コロナ禍で緊急事態宣言が続いて発令されている場合など、閉館を余儀なくされていることもありますので、あらかじめ日洋会のホームページ等事前チェックをお願いいたします。
6/2(水)から美術館開館になりました。
今回どなたにもご案内状は差し上げておりません。ご来場の際に受付にお名前をお申し出下さい。ご招待券を差し上げる手配をしました。
第35回記念 日洋展
- 会期
- 〜
- 会場
- 国立新美術館
「水溜りの環」 改組新第7回日展
どんなに美しい風景にも悲しみの歴史がある。これがぼくの絵のコンセプトです。今年は、熊本城二の丸壕址の水溜りに、月と太陽、つまりぼくの絵の祈りの象徴である金環日食を配した構成にしました。この城の歴史や近年の熊本災害を想うと、画く者として必然と選んだテーマです。観音経を写し込んで悼む気持ちを視覚的にも表現してみました。
改組 新 第7回(令和2年度)日本美術展覧会
- 会期
- 〜
- 会場
- 国立新美術館
「余白の意味」展を終えて


このたびの「吉井画廊」及び「みずほプレミアムクラブ銀座サロン」での2ヶ所同時開催「余白の意味・小牧 幹展」、特に吉井画廊デビューをこころよく応援していただきまして誠にありがとうございました。今回は母の葬儀から12日後のオープンでしたので、皆様方のご来場という応援が何よりありがたかったです。
尊敬する先達、日野耕之祐先生と江藤哲先生の遺志を継ぐ決意で始まった「新作を銀座で10年」は半分の5回を終えました。右腕のけがの功名から得た漢字の導入は、まだまだ工夫の段階ですが、幾人もの外人が親指を立ててみてくれました。俳句のように、余白にこだわり、美しいものをわずかに見せて、煮詰めて整理した純度のある深い画面を来年はもっとお見せできるようがんばります。ありがとうございました。
2019/11/22 小牧 幹
新美術新聞掲載
「余白の意味」展 出品作品
「環-熊本城-」 改組新第6回日展
どんなに美しい風景にも悲しみの歴史はある。今回熊本城を、作品構成の過程で削ぎ取って削ぎ取って、煮詰め直し、ぼくの心の色で描いていたら、いつの間にか経文を書いていました。余白の意味をながいこと考えているぼくの仕事に道が拓いたような気がします。日本人が描く、俳句のような絵でいいと思うようになりました。
改組 新 第6回(令和元年度)日本美術展覧会
- 会期
- 〜
- 会場
- 国立新美術館
- 休館日
「余白の意味」 小牧幹展
「環-なごり桜-」 第33回日洋展
東日本大震災から8年、平成の30年が幕を閉じる。世界の経済も国情も混沌としているが生きとし生けるものは今日に在り、春はまた巡り来る。
あの3.11でぼくの絵は変わった。あの現地を見て人生観が変わった。そこで、画く者として何が出来るかを考える機会を得た。積んで帰ったガレキを炭にして描いた絵は真っ黒だったが新国立美術館の明るい壁には新鮮だった。翌年5月東京の空に金環日食が出た。広い空間に悼む象徴としてリングを取り込んでみた。何と誰もやらなかった。ぼくの絵の広い空間に置く祈りの象徴としてぴったりだった。それに格調も高い。
世界中に悼む人々がいる。どんなに美しい風景にも悲しみの歴史はある。それを、作品構成の過程で削ぎ取って削ぎ取って、煮詰め直し、昇華した上で、ぼくの心の色で描く。日本人が描く俳句のような絵画でもいいと思う。
日野師匠が「真に描くは己れの精神」とおっしゃっていたことがようやく理解できる。今ぼくは長年看守ってきた95歳の母を見送る心の準備をしている。ぼくもまたいずれその後を行く。平成という30年に感慨と感謝を込めてこの題にした。 3/27記
第33回 日洋展
- 会期
- 〜
- 会場
- 国立新美術館
小牧幹展を終えて

このたびの「みずほプレミアムクラブ銀座サロン」におけるぼくの個展、しかも10年毎年続けるという、いわば人生をかけた挑戦を、こころよく応援していただき感謝の気持ちでいっぱいです。皆様のご厚意に応えられるよう更にがんばります。ありがとうございました。
2018/11/28 小牧 幹
※「everything is under charcoal grays 小牧幹展」の出品作品は、 絵画作品に移動しました。
新美術新聞掲載
小牧幹展
everything is under charcoal grays
協力 吉井画廊
小牧幹 展
- 会期
- 〜
- 開場時間
- 10:00〜18:00
最終日は17:00まで
「環 -なごり雪-」 改組新第5回日展
水郷は川が多い。この横利根閘門は利根川本流との水の高低差を解消する人間の知恵です。今回この場所の雪の日の印象をかりて、各地に起きた天災をぼくの祈りの象徴である金環日食を配して描きました。墨色は悼む画家の心の色です。また、30年の終わりを迎える「平成」という年号になごりを込めた画題にしてみました。
改組 新 第5回(平成30年度)日本美術展覧会
- 会期
- 〜
- 会場
- 国立新美術館
日野耕之祐・小牧幹 二人展を終えて
新美術新聞掲載
日野耕之祐・小牧幹 二人展
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「悼む天地月-天草五月-」120F, 第48回日洋展2014
天草の教会を描いた画家は、三岸節子と日野耕之祐である。いつの日かぼくも挑戦してみたいと長い間考えていた。日野師匠が昨年9月に逝ってしまわれたが、実はその年の5月、ぼくは先生の許可を得て天草行きを実行していた。熊本の親友は快く日程を組んでくれて、昔彼が日野先生を案内したときと同じコースで同じ宿をとってくれた。先生が訪れた時は雨が続いて外には出られなかったので、あの「天草驟雨」シリーズができたと聞いている。ぼくたちの時はいい天気で、それは絵にするには物足りなかった。しかし、ぼくはぼくの悼むシリーズの象徴である金環日食を配して鎮魂の気持ちを込めた。思い切って太陽にグリーンを入れてみた。赤と緑のせめぎ合いに、白い人工の家々や船が教会の塔に導かれて天に向かう構図で空間の広さを出した。師匠は天井から何とおっしゃるだろうか・・・。去年の作品「悼む天地月-花は咲く-」の前で長い間じっとみていてくださっていたという、友人が撮ったこの写真がなんとも優しくて胸を打つ。

「恋瀬川から」 「筑波山を描く」展
- 朝日新聞連載原画を中心に水彩・油彩・エッセー
ごあいさつ
「2012 年 5 月 21 日の金環日食は、あの未曽有の東日本大震災から 1 年と 2 カ月後に現れました。まるで、多くの犠牲者と残された人々の不安を悼 むかのように太陽と月と地球が一つになるという宇宙の神秘の瞬間でした。報道はあまりされませんが茨城も福島や宮城・岩手と同じく被災県なので す。放射能汚染もこの先どうなるのでしょう・・。画く者として何が出来るかを問いかけながら悼む気持ちを表現すると、こういう作品になりました。 空の黒は陸前高田から持ち帰ったがれきの炭を使いました。ぼくの鎮魂の色です。」とは、この作品に寄せた心境です。今回「筑波山」を描いた作品 ばかりに絞って水戸で展覧会をすることになりました。2010 年 4 月から 2011 年 3 月までの 1 年間某新聞に連載させていただきました「ふるさと筑波 賛歌‐スケッチと文‐」の 20 回分の原画と文章、それに油彩作品の 120 号大作等を並べます。そして絵画における震災復興支援展になればと考えて おります。多くの方々にみていただければ幸いです。 Kan
「筑波山を描く」展
- 会期
- 〜
- 会場
- 水戸京成百貨店 6階アートギャラリー
- 時間
- 最終日17時閉廊
入場料
入場無料
「悼む天地月-遥かなる富士-」 第45回日展
追悼 日野耕之祐先生
「悼む天地月-天草から-」 茨城芸術祭

「悼む天地月-天草から-」50F, 茨城芸術祭2013
日野耕之祐先生が急逝された。前々日は終日ぼくと四谷で一緒だった。4時半に外に出ると、「お茶でもしていくか」といつものようにおっしゃり、わずか20メートルほどのスクワール麹町に、ぼくの手をしっかりつかんで歩かれて入った。先生はバニラアイスクリームをスプーンで少しずつ口にされながら、2時間ぐらいおしゃべりをされた。二人だけでいろいろなことをあれ程語り合ったことはそれまでなかったと思う。駅前からタクシーに乗ってもそれは続いた。そして、玄関を上がった先生は、ぼくの方は振り返らずに右手をあげて「ありがとう~」とおっしゃって奥に消えられた。それが今生の別れとなった。9月3日先生は心不全でお亡くなりになった。88歳の米寿を帝国ホテルでお祝いした日から5カ月だった。弟子として40年、最後となるあの日を師匠と充実して過ごせたことが一番の想い出となった。合掌。
この絵は4月に天草を取材してから考えていた次のテーマの処女作だ。三岸節子の画いた崎津教会の作品に触発されて日野先生が画いた「天草驟雨」シリーズがあるが、ぼくもいつかこの場所をモノにしたいと考えていた。昔先生を天草に案内した熊本の親友に今回ぼくも世話になった。これは試作としての50号である。これからもっと深めたい。天草の片田舎にもあの日を悼み復興を祈る人々のいることを表現したかった。三岸も先生も丘の上から画いたが、ぼくは入り江の反対側から描いてみた。
「悼む天地月-花は咲く-」 第27回日洋展

「悼む天地月-花は咲く-」F120, 第27回日洋展2013
2011年3月11日は未曽有の東日本大震災の日だが、そのほぼ1年後の2012/5月6日、つくば市北条地区を巨大竜巻が襲った。そして同月21日金環日食が現れた。さて、わたしの故郷茨城は、被災地でありながら東北3県のように大きく報道はされない。しかし、正に被災県なのである。この絵の筑波山は万葉集にも詠われる関東の名山である。今回の山の形は北条のはずれを流れる桜川の付近から取材した。作品と同じ風景はないが、桜の並木はこの辺りにはたくさんある。メディアから流れる震災応援歌の優しさを想ってタイトルは-花は咲く-とした。2度の被災に合い多くの犠牲を出した故郷つくば市に思いをはせて、今回の鎮魂シリーズはわたしのふるさと筑波を主題に描いた。
「悼む月」 日展
「悼む天地月(ふるさと霞ヶ浦)」 日洋会選抜展

「悼む天地月(ふるさと霞ヶ浦)」P100, 日洋会選抜展2013
この作品は、3.11以来発表している「鎮魂シリーズ」の1作です。100号で、郷土行方のアトリエ近くの霞ヶ浦湖畔で取材しています。「悼む天地月-ふるさと霞ヶ浦-」という題名で、グレーの色は震災地陸前高田のガレキの炭で描いています。天は太陽、地は地球、2012年5月に3つの天体が一直線に並んだ時、その現象を、「神々の悼み」と解釈して先の震災犠牲者のことを想った人々は多かったはずです。これはそれを忘れないことの誓いの表現でもあるのです。一艘の小船は、命あるあなたです・・・。
また春が巡って来ます。美しいふるさとを取り戻すために、何ができるか、どうすることが大切かということを真剣に考える時代に、私たち一人一人が今日を生きています。この作品は画く者としての、精一杯のぼくのメッセージです。
「悼む天地月-3.11 in the world-」 第44回日展
「悼む天地月(ふるさと霞ヶ浦)」 茨城芸術祭
「刻を悼む」 第26回日洋展

「刻を悼む」26回日洋展2012
この作品がほぼ完成した3月の終わり、関係している学校の入学式に祝辞を依頼された。話す内容に不足点を考慮すると、東日本大震災の現場をじかに見ていないことだった。ぼくは仙台のホテルをネットで予約して、すぐ高速道路を北に飛ばした。1時過ぎ一関インターを降り、真っ直ぐ陸前高田に向かった。残雪の残る峠を越えると津波にさらわれて何もない街に下りた。4階建てのマンションか、車が屋上に置き去りにされていた。いたるところがれきの山だった。枯れても残った一本松の下でがれきを拾って車のトランクに積んだ。それから気仙沼・南三陸町・女川・石巻・東松島と海岸線を回ってホテルにたどり着いたのは9時だった。東京から600キロを走ったことになる。完成していたアトリエの絵が、がれきの炭で描き変ったのは3日後だった。今までの甘い絵から、悼む気持ちの伝わる絵になったと思う。黒は空ではない。ぼくの鎮魂のこころの色だ。世界中の教会が日本の3.11を悼む鐘を鳴らしているように…。
小牧 幹
















































































